即興詩人 上・下 アンデルセン作 大畑末吉訳

赤 32-741

『アンデルセン童話集』が好きなのです。『絵の無い絵本』も。『即興詩人』は”アンデルセンの実話を基にした詩的で想像力に溢れた自伝”であると思います。感傷的で感受性に優れたアンデルセンの人柄がよく分かります。此のドイツやスイス、イタリアへの旅程で出会った人物や建造物、自然に対する印象を豊かに取り入れ物語の創造性に繋げて行ったのです。アンデルセンの感情に富む性質は「弱弱しい」或いは「夢想的だ」という批判を周囲の人々から受けていたらしいです。しかし其の脆さと表裏一体の内面性が無ければ、あの『人魚姫』や『マッチ売りの少女』に於ける濃い悲しみが紡ぎ出されることも又なかったのだということを深く頷かされます。物事を鋭く知覚する内向性があればこそ、今尚人々に訴えかける童話を残すことが出来たのですね。
「私ははじめて詩人とはなんであるかということが分かりました。つまり、見たもの感じたものを美しく歌うことのできる人なんだ。」
「お前が火を吹いて、足が燃え上がって、ちっぽけな栗が焼けてくるとき、お前の目の中には神様の天使が見えたものだによ。……なあアントーニオや、貧乏な子どものときのことをけっして忘れるでねえぞ。」
「あらゆるもののなかの美と高貴さに私の心はとらえられ感動させられました。……この世界は私にとっては、その心ばえ、その姿、その衣装で私の注意を引く美しい娘のようなものでした。……私の心を引きつけるのは全体なのです。……私の本分は全体の美をとらえることです。」
アンデルセンとは、なんて清々しい人なんでしょうか!!
2023/8/15

審判 カフカ作 辻瑆訳

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なかなかに面白くて。かつ現在のお役所仕事に対する風刺も効いているのかなと感じました。やはりカフカの物語は同じところをグルグル回る循環論に満ちていて此の『審判』もご多分に漏れずですね。世界構成や話の筋道に一枚カーテンが引かれているようで、どうも主人公のKは曖昧にあやふやにしか自分が追い込まれた立場への経過をたどることが出来ません。其の上最終的にはどうすることもできない局面まで追いつめられるのだから、其の理不尽さは測る術もありません。世界の裏で働く目に見えない総意のようなものに誘われて、Kは否応なく歩かされます。そして進んで行った先には、最初から定められていた予定調和が待ち構えているのみです。では中途に行われるKの自己判断・自己選択は無駄な足掻きに過ぎなかったのでしょうか?つまりKの内面性によって物語は描かれていますが、Kの意志に左右されることなく物語の終着点は収斂していくという雰囲気を感じます。大多数の中で自己意識を持つK。しかしもちろんKも集団の中に埋もれて行き、最後には全体を構成する一部分であることを認識します。
こういった同調主義に対して、カフカは冷静に観察していたのかそれとも反骨的に揶揄していたのか、どっち何でしょうか?カフカ自身は安定的な保険の仕事に生涯勤めており、其の生活の中から小説の発想を取り出していたものと思われます。ちょっとするとカフカの小説には人生に対する諦観を受け取りますが、継続的に小説を書きあげていたenergyの底にはきっと他に伝えたいメッセージがある筈です。主人公のKは恐らくカフカ自身で、自分の変わり映えしない生活を肯定したかったということでしょうか?ほとんどの人間が送る同じサイクルの日常を緻密に描出することで意味を付与したかったのではないでしょうか。でも此れだけ繊細に日々を組み上げていけるいけるということは、最早普通の生活の範疇を超えてもいるのだけれど……。
此の物語にスパっと結末が着いているのが私には意外でした。ただ『審判』はカフカの遺稿を再編集してものであるらしく……納得です。本当はきっと、この小説は何処までも半永久的にグルグルと彷徨い続ける種類のものである気がします。
2023/8/15

カフカ寓話集 池内紀編訳

赤 438ー4

カフカで有名なのは『変身』とか『城』とか『断食芸人』とかかな?岩波文庫で『変身』と『断食芸人』が収められている文庫もあって、以前読んだことがあります。 其れは短くて読みやすく、かつentertainer性にも富んでいて凄く読みやすかったです。 今流行っているライトノベルとかを読む方々の層にも刺さりそう。文学特有の堅苦しさや沈滞性を余り感じないんじゃないかと思います。 私は面白いなと思って、それから『城』とか『流刑地にて』とかを図書館に借りに行って読みました。其れも面白くて。其れから時間が空いて最近たまたま『カフカ寓話集』に巡り合ったので読みました。ただこの本は他と比べるとそんなに面白くないかなという気も?むー。一方でカフカの文章の特徴を知ることが出来たので良かったとも思っています。恐らくカフカは「堂々巡り」を好む作家さんなんですね。此の『カフカ寓話集』も話が前に進まない・進まない。ちょっと冗長になりすぎて何が言いたかったんだろう?と理解できない部分も多々ありました。私の頭が悪いのかな?
私たちの日々の生活の動作は最小単位の複雑な組み合わせで成り立っています。なので其の微細な一部分を汲み上げて記述したとしてもとても書き表せない程の滋味に満ちているのです。例えば「お茶を飲むという」所作も分割すれば、コップに手を伸ばす・指を開く・コップに触れる・持ち上げる・口元に近づける・傾ける・飲み込むというように無数に陳述していくことは可能だと思います。さらに其の最中に織り成された感覚・感情についても同様に。カフカの執筆はとても忍耐力を要する仕事だったと思います。だって変わり映えのしない世界を延々と綴ることで変化を生み出そうという行為を試みたのだから。最近の時流として「短くてポンポンと場面転換して分かりやすい」ものが受けています。私も例に漏れず静かな楽しみに浸る時間が短くなってきました。此れじゃいけない・いけない。カフカの集中力と忍耐力は異常であることが小説の文章から伝わってきます。『審判』も買ったので今度読もうと思います。楽しみ。
2023/7/4

アメリカの鱒釣り リチャード・ブローティガン作 藤本和子訳

古本屋さんのバーゲン品で買いました。250円くらいだったかな。其の形式は小説というよりも”詩”と言った方が近いかも。バラバラに捉えた日常の片鱗を其の儘描き出す手法です。其の表現方法はとっても新鮮で直に心に届いてきます。繋がった文章の筋ではなく、瞬間の感覚を訴えているような。論理的<感覚的
私と此の本との出会いは偶然だったのですが、結構有名な本なのかも。其れから2回ほど『アメリカの鱒釣り』に関する話題を耳に挟んだのです。小説ってどんな形でもいいと思うんです。自分が美しいと思う表現法を突き詰めてゆけば。リチャード・ブローティガンはきっと文章を書くのがとっても好きなんだろうなということが伝わってきます。私は此の作者のことを何も知らないわけですが………。読んでいて楽しい。何か前向きになれるんですよね。
henry mullerの『北回帰線』や『南回帰線』も次々と自己の思想が波濤の様に流れ出てきます。『アメリカの鱒釣り』は”思想”という訳では無いけれど、作者の感受性が鋭く、伸び伸びと語られています。小説は好きな人が好きなように書けばいいのですよね。自分が受けた世界を主体的に再構築していく。其の原始的な原動力を感じるから、此の小説が好きなのです。
2023/12/4